大嘗祭と大麻草
いよいよ11月14日の大嘗祭が斎行されますが、供納される品のうちで際立って特別なものが大麻草の織物である麁服(あらたえ)です。
麁服は繪服(にぎたえ、絹織物)とともに大嘗宮の天皇のベッドである「第一の神座」に置かれます。
上古より調進(天皇の命により製作、供納)するのは阿波忌部直系の三木家と定められています。
これが三木家の製作でないものは「忌部所作代」と注釈が付きます。
麁服の製作は全て阿波で行われます。播種式に始まり、7月頃に抜麻式と初蒸式、8月に麻紡式、その後に織初式、織上式、麁服出発式と祭儀が行われます。
麁服は御殿人(みあからんど)によって大嘗宮に運ばれ、宮廷祭祀の長である神祀官に預けられます。
大嘗祭の当日に他の由加物と別隊で進み、その後に他の由加物や繪服と合流して大嘗宮内まで運ばれ御殿人により悠紀殿と主基殿の神座に祀られます。
御殿人とは阿波忌部直系の氏人で麁服の製作を統括し、大嘗宮の神座に供納する身分を有する家柄の人を表します。
かつては運搬は厳重を極め、朝廷から派遣された勅使の先導のもと、道中は掃き清められ御殿人に護られながら麁服は京都へ運ばれました。
同じ悠紀・主基両殿に祀られる繪服は三河で作られた絹糸を京都で織ります。同じ神衣ですが、麁服とは製作や供納の行程は大きく異なります。
他の由加物(食料や衣類、道具類)も麁服のように丁重に扱われないことからも、麁服がいかに特別なものであるかがわかります。
三木家は麁服のために二つの畑で大麻草を栽培します。一つは予備の畑で、製作に用いられなかった収穫物は全て焼却されます。
その栽培地の三木山は忌部氏が最適地として太古より支配します。気温が平地よりも3~5度低い高地で、土のPHは6、朝霧があり、突風が吹かないなどの条件を満たしたのが、この秘境とも言える三木山なのです。
そして最上の精麻を得るには3年は土地は休ませないといけないそうです。
麁服の調進が決まると畑は24時間体制の警備が行われます。
麁服は天皇霊の衣で、新天皇は高祖、天神、地神をお迎えし寝食を共にします。これは神様から力をいただく儀式だと言われています。
10月22日に新天皇は即位礼正殿の儀で
「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。」と宣言されました。
大麻草は皇室にとってかけがえのない植物であり、国民に寄り添う存在だと思います。
参考文献:日本の建国と阿波忌部 林博章著、発行
高野泰年